サブタイトルの●●に嫌悪感。整合性の大切さに反省。

雑記


●●とは、
YouTubeなどで、
よくある手法なのですが、
サブタイトルなどに「●●」を使うやり方です。

用例

不適切な表現、過激な表現

これは、放送禁止用語などの
摘発回避のため、あるいは特定の隠語が
差別的偏見を内在するなどの規制を考慮
し、記載しないタイプです。

これは、初めから見て、読んで
受け手が分かる形でつかわれます。

受け手は、むしろそのことについて
知りたい方々が動画再生するわけです。
これは、今回私が嫌悪感を抱く
対象ではありません。

疑問を内在させて訴求効果を高める

例えば、「●●は健康によい」という
表現があったとします。
すると、受け手は
「●●」の答えを知りたくなるので、
ついつい見てしまうのですが、
最後まで見終わっても、
答えの「●●」が含まれていないものがあったりします。

そして
動画再生を始めてしまうと、
最初の疑問「●●」とは何だったのか?
を忘れてしまい、
動画の内容に引き込まれて
楽しんでしまいます。

あれ、そういえば●●の答えは何だったのだろうか?
と2度再生してみてしまいます。

ムムム。
やられたぁ~。
答えが無い・・・。

誘われ・・・よく見るとカマキリ

このタイプに嫌悪感を感じてしまいます。
しかも、制作者は悪気は無いように
見受けられます。

無自覚羊頭狗肉(ようとうくにく)タイプです。
このタイプが厄介で、個人的に嫌悪感を覚えます。

無料ゆえ文句は言わないが


視聴者の時間泥棒
再生回数が 何万回とあると、
同じように引っかかった人(?)が
こんなにいるのかと思ったりします。

おそらく、
コメント数の多さなどからも
動画作成している方も
視聴者の方たちも
その点には、
あまり
気にかけていないようにも
思われます。

ただ、こういう経験を一度してしまうと、
「気にしい」の私は、
●●について過剰反応してしまい、
嫌悪感を感じてしまうようになります。

「あぁこの人は、この手法で再生回数を
増やせた経験をして、
整合性の検証をせずに公開しているなぁ。」
ブツブツ・・・。
受け手に不満は残ります。

指摘する(指摘して差し上げる?)のも
製作者を相手にしてしまうことになり、
無料のサービスゆえ、バカらしく感じられてしまいます。

自分はどうなのよ

さて、我が身を振り返って自省してみると、
私のブログも人目を引くようなタイトルを
使っているのに気づきました。

「人のことをとやかく言えないなぁ。」
「私も大して変わらない。」
「似たような感じだった・・・。」

今後は、情報発信で信用を失ってしまう
リスクも考えて行きたいと
思えた出来事でした。

私のブログで
そういう思いをした方々が
もしも、いらしたら・・・

と、思うに至りました。


申し訳ありませんでした。気を付けます。」

先に謝っておきます。

今回のタイトルに引き寄せられた方にも
謝りなさい。
作為が感じられる。

「・・・どうもすみません。」

気づいたこと(2つのリテラシー)

一つの対策(表示させない)

対策として、受け手(私)の
リテラシー(素養)を高めることを
考えました。

人間も生物ですから、
本能的な(興味をもたらす)ものに、
あらがうためには
相応の精神的強さをもって
あたらなければならず、
これでは消耗してしまいます。

つまり、
単純に「見ない」という選択肢は
精神的消耗を自分に課すことになります。

だから、そういう動画は
表示させなくさせる
(見えなくする)。

「光に集まる昆虫」の図

現時点では、光をブロックする方法しか
思い浮かばなかった。

テキスト(文字)と対面の違いを知る

対面の世界

実体験で人と対面する世界では
話が逸れたりすることは
良くあることです。

そこには、気づかないふりをして
些末なことにとらわれずに、
話に乗って行くことが
コミュニケーションを円滑にするために
大切であったりします。

ビジネス上のコミュニケーションの目的が
間違いを質す(ただす)ことではない為です。

例えば、
校長先生の訓話で、
何かちょっとした間違いに気づいた場合
指摘して褒められるのはその学校の生徒だけ(※)で、
先生方は気づいても、指摘しないことが多いはずです。


相手との関係性によるとは思いますが、
上下関係や目上・目下という立場をもつ
「大人になる」とは
思いのほか孤独なものです。

(※)些末な間違いを指摘して成立する職業(大人)お笑い芸人です。
だから、聞き手(自分)が言いたかったことを代弁してくれる
お笑い芸人は、人気があるのかと思います。
そう考えると、相方以外へのツッコミは、漫才以上の難しさを伴うものだと思えるのです。
多くの場合、番組内で役割分担をしているように思えますし、ツッコんだ相手に
番組終了後、楽屋で謝っているやもしれません。

現実の世界でお話を断ち切ったり
間違いを指摘するのは、
(相手の心証に思いやるシーンでは)
かなりの勇気が要ります。

テキスト(文字)の世界

テキストの世界では指摘やツッコミがストレスなくできます。

チャットやブログ、メールや動画などにおけるテキスト文字の世界は、
情報発信時には相手がその瞬間に聞いていないという
緊張感のゆるみ(弛緩)があって、
その一方向的表現の容易さ(手軽さ・ハードルの低さ)からも、
粗削りな表現でも自ら許容範囲内であると容認してしまいがち
「危うさ」を
持ち合わせているような気がします。

<span class="fz-18px">反省</span>
反省

私、実は「他人に厳しく、自分に甘い。」
のです。

以上です。読んでいただき、ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました