合格体験記からは距離をおきたい

雑記

やり過ぎ逆効果。疲れると良いパフォーマンスが出ません

勉強時間とか仕事時間とか時間をものさしに使うこと日常よくあると思います。
時間をテーマにお話始める場合には、
個別の背景や環境、前提条件が個人ごとに違うことを見落としていやしませんか?
と私は言いたくなる時があります。

好循環は悪循環にもなる


どんなに好きなことや得意なことを夢中になってやっていたとしても
体は疲れています。
だから、仕事で無理して体を壊したり
短期的には成果を出しても、
そのしわ寄せが、
後から思わぬところから出てきたりすることって、
身の回りの事例を挙げてもらったら、
枚挙にいとまがないように思います。

例えば、スポーツ選手ならば怪我であったり、
ワンマン社長やモーレツ社員なら家庭崩壊(?)であったりです。
怪我する前にメンテナンスしておけばと後悔している人が沢山いるでしょ。

ブロガーと呼ばれる方々も、毎日更新している方々がおりまして、私は頭が下がります。
そんな方に直接質問を出来る機会に恵まれたら
「ガス欠にならないような身の回りのメンテナンスは何をしていますか?」
と私は質問したいと思います。
「いきなり自分にその方と同様の準備が出来るとは思っていませんが。参考にしたいです。」

勉強法ってブームなの?

これを社労士試験勉強対策に当てはめると、
企業のマーケティング・経営戦略として、短期合格や合格率などを前面に出してPRしたり、
自分の短期的成果を軽く交えてPRしてくる様々なケースには、少し警戒心をもってしまいます。
勉強中の人たちは反論できないので、「あ~、受験生の弱いところを突いて来るなぁ。」と思います。
スランプのときは特にそのように感じます。
十人十色の勉強法にいちいち感化されていたら身が持ちません。
「いや、俺は俺だから。」と考えることでご自身なりの指針(→やりかた)が見えてくるような気がします。
自分なりのやりかたの方が、力強く生きる上でずっと大切な気がします。

合格体験記と距離をおきたい

それで、何が言いたいのかと言うと、
合格体験記には合格に至るまでのサクセスストーリーよりも、
失敗談のほうが多くの方の共感を得られると思うのです。
そういう情報は誰も公開したくないから、そういうデータや指標を公開してくれている場合は非常に貴重で「この人、心が広いなぁ。」と信頼してしまうのです。

こんな困難を、こうやって克服したみたいな話は少々飽きました。
当然「へぇー。すごいなぁ。」とは思いますが、そこまでです。
おそらく実行に移されても継続されないでしょう。
読み手がその話やアドバイスを必要とするタイミングかどうかも問われてしまうからです。
タイミングが違っていたら「単なる自慢話」と受け取られてしまうような気がします。

大半の人はその先の解決策やアプローチは自分で考えるから、
人から教えてもらわなくていいのではないでしょうか?
解決策は人それぞれだからです。


次に私も含め、勉強法の読み手側の人に質問です。
勉強法の信者になって、上手くいかなかったら誰のせいですか?

試験合格が所詮、個人の能力の問題に帰着するのであれば、
「こちらは大いに参考にするけど、最後は、お前の知ったことか、俺の人生だ。」
で良いと私は思うわけです。
そうでなければ、勉強でも仕事でも、面白くないとさえ思うのです。
「それを考える醍醐味を奪うなよ。」
「だから面白くなくなっちゃうんじゃないの?」
とさえ感じることもあります。
(ちょっと言い過ぎたかなぁ。)

ただし、個人の能力の問題ではなく、構造の問題であれば議論する余地はあるのです。
例えば、「10年後の社労士に求められる業務や知見を洞察する。」
なんていうのは、いろいろな方が参加できて、様々な考えが出て来ておもしろいわけです。

結局、「○○大卒の勉強のできる人」やその反対で「こんな私にも・・・合格できた。」という
「こうやれば合格できる」って勉強法は、
「大いに参考にするけど、・・・今、俺はその段階じゃない。」
これが今の私の本音です。

「指導者のスキル」を学習者も見極める習慣を

何事につけ、
(例、スポーツ、芸術、学問、ビジネスなど)
役に立ちたい(良かれ)と思ってするアドバイスが、
適切な段階ではなく、
「独りよがり」
「自己満足」
になっているということが
往々にしてあることです。

試験の場合では、
「合格するスキル」と、
「合格できる人材を育成するスキル」は
全く違う分野です。

この認識を持たない
無自覚なアドバイスは、
相手に不利益を与えたとしても
そのことに気付かないことでしょう。


そういう半人前、
自己満足アドバイスのエピソードは、
世の中に沢山あふれています。

例えば、日本のプロ野球などでも
現役時代に活躍したいい選手が
指導者として上手くいかないケースは
よくあります。

スポーツほど人間の能力の差(個体差)が
残酷に、はっきり出る
世界はない
ので、10人居れば10通り
のプロセスがあります。

後に大成する選手は
指導者とそりが合わないことが
ままあるのです。


彼らは、既存の考えでは説明できないこと(可能性)に
チャレンジするからでもありますが、

それを、指導者が理解できるかどうかが、
過去の自身の活躍や経験以上に重要だったりします。

そのためには、
過去の自分や先人の失敗との違いはどこにあるのか?

(その前に、過去の自身の活躍の理由を冷静に分析できているか?)
このあたりを内省できるかどうかに
大きく影響されると思います。

自分自身の経験だけでは役立てないことを
潔く認め、手っ取り早く答えを出せない
不安定な気持ちや、もどかしさを我慢する
「我慢強さ」

そのこと率直に選手に伝え
ともに可能性をさがす
「謙虚さ」
が試されているとも言えます。

うまく意見をまとめる時間がありませんでした。
その点はあらかじめ、お詫びしておきます。
ごめんなさい。

たくさんの人を傷つけて、敵に回した気がする。

「ややそそ」
やや粗相ですね。

ブツクサ言うなら、ブログなんかやめちまえ!

こうやって、素直さを欠くから
伸びないんですよ~。
見方を変えて、現実を受け入れよう。

なんかお疲れだったんですかねぇ。


ここまで、読んでいただき、ありがとうございました。

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