「やることの無い幸せ」と「やることの有る幸せ」

雑記

このタイトル(テーマ)は、
「幸せ」快楽として捉えるか、
はたまた、意味・充実として捉えるかで
結論や評価に個人差が出る内容です。

やるべきことの無い幸せ

これは、純粋な幸福ですね。

何かを達成する必要もない。
誰かに期待される必要もない。
時間を有効活用する必要すらない。

ただ寝てもいいし、散歩してもいいし、ぼーっとしてもいい。
これは、「存在しているだけで許されている」
という幸福に近いと思います。

特に、普段から「やらなければ」と考え続けている人にとっては、とても価値があります。
問題となるのは、これが長期化したときです。
最初は、
「最高だ。何もしなくていい。」となるでしょうね。
しかし、そのうち、
「・・・で、今日は何をしよう?」
「明日は?」
「来週は?」
となる可能性がありそうです。

人って意外と、自由そのものより「自由を使って何かをすること」に幸福を感じるからです。

やるべきことの有る幸せ

「やるべきことのある」というのは、自由を奪われている状態でもありますね。
朝起きなければならない。誰かの期待に応えなければならない。勉強しなければならない。仕事をしなければならない。

だから、何もない状態より面倒です。

しかし、何かをやり遂げたときには、
「自分の時間を何かに変えた」
という実感(?)が伴います。

つまり、この幸福は活動の最中より、
活動によって生まれる意味や
成果(良く言えば達成感?)に強さがある

両者の違い

やるべきことの無い幸せ
=「苦痛から解放される幸福」

やるべきことの有る幸せ
=「何かに向かって生きられる幸福」

前者は静的な幸福で、後者は動的な幸福です。

そして、静的な幸福は「休む」ために非常に重要ですが、動的な幸福がないと、人生全体が平坦になりやすい。

だから理想は、

「やるべきことがあるけれど、それに支配されてはいない」

状態だと思います。

やるべきことの質

「借金を返さなければならない」
「嫌な上司の要求に応えなければならない」
「世間から認められなければならない」

こういう「やるべきこと」が増えても、幸福になるとは限りません。

一方、

「好きな人に会いたい」
「作品を完成させたい」
「もっと上手くなりたい」
「誰かの役に立ちたい」

というものなら、「やるべきこと」はむしろ生きる理由になります。

なので、

「やるべきことのある」こと自体が幸福なのではなく、
「自分がやる価値を感じることがある」ことが幸福に近い。


逆説的なのですが、「何もしなくていい」という幸せを本当に味わうためにも、「明日やりたいこと」があるほうがいいんですよね。

「あなたのやりたいことは何ですか?」

40歳(=不惑ふわく)を過ぎて50代になっても、そんなことを自分に問いかけてしまう私なのです。

以上、ありがとうございました。

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