とうとうバカの姿勢になる

雑記

この文章では、
下記の書籍に感化された私が
「バカとはどういう生き物か?」
整理を試みました。
より正しく知りたい方は、
以下の書籍をお求めください。

参考文献:「バカと無知」人間、この不都合ないきもの
著者:橘玲 新潮新書

なお、橘玲さんの書籍の内容を要約したものではありませんので、
勘違いなさいませんようよろしくお願いいたします。

余計なこと

ちなみに、無知と似た意味で
善意(ぜんい)があります。

善意(ぜんい)とは、法律用語として
用いる場合

知らない」という意味です。
その反対の「知っている」は、悪意(あくい)という具合です。

法律用語としての
善意:知らない
悪意:知っている

善意:好意→(結果として)ためになる
悪意:わざと→(結果として)不幸になる

が普段使いですよね~。

善意の意味のギャップが
ありすぎ。

バカとは

私のつたない理解では、
バカとは、他者との競争状態において
「自分の盲点を意識できない人」

「自分の意見に自信満々な人」
がおちいりがちな姿勢。

自分は器用ではありません。
どんな講義を聞いても頭に入りません。
頭に入らないことがストレスとなり、
やる気が消耗してしまいます。

これが
行き過ぎると、
この講師は何を言っているの?。
理解できないなぁ。
無神経な講師とは付き合いたくないね。
と思ってしまうのです。
(この場合、
どちらが無神経なのかを
立証することには、
何の意味もありません。
無意味です。
しかし、相手が悪いと
考え、決めつけがちなのが
バカの特徴です。)

無意味を補足すると、
「証明可能ではない」
「不可能」・・・。

生まれ持っていた才能・特徴には
本人には当たり前となってしまい

気づきにくいのです。
生まれ持って呑み込みが早い人は、
そうでない人の思考をなぞることは
非常に難易度が高いのです。
「名選手、名監督に非ず」

呑み込みの遅い人から見ると、
論理の飛躍が生まれてしまう。

故に、呑み込みの遅い人から
教える側が逆にバカ扱いされる
(逆ギレ)現象を起こします。
(教える側=のみ込みの早い人から見れば、
遅い人の方がバカなのですが・・・。)
「バカは死ななきゃ治らない」
とはこのことです。

のみ込みの遅い人は
呑み込みの早い人より
ストレスを感じる頻度が
多いのです。
だから、
そのこと自体を
周囲や他人のせいにすることで、
自分をストレスから
守っている
ようなところがあります。

そこで、私は
生来のバカを受け入れて、
バカを克服なんて出来ないから、
バカなりの
勉強の姿勢を考えてみました。

バカが生き抜く姿勢


こころ静かに、
テキストを読む
そして、問題を解く。

講師はたまに聞いてあげぐらいの
上から目線の感覚で勉強はすすめます。
講義は気分転換に聞き流すぐらいが
バカには合っている。
(バカは主導権を持ちたがるものです。)

バカはこう感じている

資格講座の教材は
バカな私にとっては
とにかく、多すぎです。
「過剰品質」なのです。
「こんなに問題解けないし、
何ならこの教材要らないから、
その分値引きして。」


資格講座はビジネスで
行っていることなので、
仕方がないことかもしれませんが、
受験生のことを考えているというよりも、
リスク対策として
「自分たちが非難されないことを重視しすぎている」
(クレーム対応が大変面倒くさい。
悪い評判が立つと面倒くさい。)

あるいは、
「呑み込みが早い人向けに作成している」
(呑み込みの早い人を合格させた方が効率的。)
面があるようにも思います。

バカが落ちこぼれるのは
こういうことからですね。

バカが勉強するときの最優先事項

要は、バカにとっては
詰込みすぎなんです。
消化できずに、
ストレスがたまる。

バカにとっての
最重要項目は
「ストレスなく勉強を続ける」
です。

もちろんこの考えに
異議を唱える方も
大勢いらっしゃるでしょうが、

よくある合格話や情報で
「誰でも合格できる」
「人生が変わる」
「秘密を教える」
彼らの言っていることが
ウソというわけではない。
事実もまざっているであろうから、
あたかも本当らしく聞こえてしまうのですが、
これらを私のようなバカが信じてしまうと、
結局はお金や時間で損をすることになります。

なぜ、彼らはその情報を発信しているのかを
考えましょう。

(ちなみに、
バカな私の場合、
思考実験の
「備忘」として
このブログを書いています。)

勉強に行き詰っている私は、
今、冒頭で書いたように
本来、内部の要因(理解できない)を
外部が要因(講師が悪い)であるように
考えています。

これって、
世間一般の社会では、
呑み込みの早い人に対して
逆マウントを取るという
イタいおじさん
の完成形ですね。

バカがつぶされない生き方

要するに、
バカな私は
自分勝手なプライドに
ひとり悦に入ることで、

(外部のせいにして
心の平安を手にしたのです。

具体的行動などにより
他者に危害を加えない限りにおいて、
ひとりで妄想するのは、
誰にも迷惑をかけないので、・・・。
問題ありませんからね。

バカにとっては、
理解できないという
プライドが傷つくよりも、
自分以外の
周りのせいにした方が
気持ちが楽なのです。
致し方なし~。
これが、
「バカに付ける薬はない」
ということですね。

こういう場合の私には
周囲の人は、
手の施しようがありません。
放っておくしか手がありません。

以上。現状の私への自己分析でした。
「バカはバカとして生きてゆく~。♪」
「バカだっていいんだよ~。」
「バカだって幸せだよ~。」

今日はカレーでも食べるか?」

心が折れてしまうよりは、
今の自分を肯定して
開き直った方が
幾分の
可能性が残ります。

バカが他者との競争関係のなかで
成立するものだとしたら、
他者との比較による
相対的なものなのだろうか?
わからん。不明。

以上、最後までお読みいただき
ありがとうございました。

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