この文章は、
社労士の資格試験勉強について
無味乾燥に感じている方々向けに
書いた学習応援文です。
これを読むと、
あなたが、学習に対し
無味乾燥に感じる
原因を特定し、
腹落ちにより
納得(スッキリ)
できるかもしれません。
だいぶ長くダラダラ書いてしまったので、
お急ぎの方は、
勉強ストレス解消方法のみを
斜め読みしてください。
前提:どんな奴の意見か?
前提として、
私の法律知識レベルは
大学の一般教養科目で
民法や商法を学んだ程度です。
(法学部出身ではありません。
つまり、
体系的に法律全般を
学んだことはありません。)
そんな私の立場の意見ですが、
社労士の勉強は
資格勉強のつまらない度
ランキングの1位(ワースト1位)
ではないかと・・・。
一人勝手に、邪推しています。
(私の偏見・敵意満載です。)
おりしも、
ノーベル賞受賞者発表の時期で
もありますので、
その点とも
からめてお話しいたします。
「なぜ?」「どうして?」は資格取得には効率が悪い
なぜ・どうしては学びの楽しみ
私は、人間は「なぜ?」と疑問が生まれ
その疑問を解消することに
学びの喜びを覚えるもの
だと思いますが、
社労士試験において
この考えれに囚われて
しまっては
その効率の悪さゆえに
合格から遠ざかるという
ジレンマが生まれます。
なぜなら、疑問・質問の着想は
個人ごとに千差万別であり、
社労士の資格取得勉強は
優れた着想に価値が見出される
研究の世界とは異なります。
効率の悪さから、
講師陣も
テキストも
ほぼ条文通りにしか
説明・記載しないのです。
言い換えると、
「この条文は、どうして、
こうなのか?」
あえて踏み込んでまで、
懇切丁寧に
解説してくれないのです。
私が考えるに、
法律の趣旨(あるいは意図)には、
唯一の大正解というものが存在せず、
さまざまな解釈が存在しています。
「解釈自体は人それぞれに、
許されています。」
あるいは、
「社労士ごときでは
意図を解釈するにはまだ早い。
もっと勉強しなければ解釈には至らない。」
ということかもしれません。
そのため、
講師によって
趣旨や意図の解釈に
違いがある場合もあります。
見方を変えると、
踏み込んで説明する場合、
講師によって意図の解釈が
当然のごとく、
微妙に異なって来ます。
その条文の成り立ち(経緯)を
ご存じでない場合さえもあります。
極端なことを言うならば、
法律の意図するところについて、
我々、学習者は
「なぜ、どうして」
の解釈は
個人のご自由に。
それでも、社労士試験には
合格できる。
(・・気がする・・・。)
資格予備校は学びの場とは違う
勉強期間が長い方ほど、
この「なぜ?」「どうして?」への
こだわりが強くなる傾向があり、
資格試験講師を質問攻めして
(講師の時間を奪い、困らせてしまい。)
毛嫌いされるわけです。
そのため、このタイトルに
「タブー視」という
少々刺激的な表現を用いました。
もう少し、
平易な表現にすると
「違和感」です。
勉強が進むにつれて
増えてゆくように感じる
「違和感」
初学者は「へぇー。そういうもんか。」と
受け流すところを、
何度も受験している生徒は、
受け流しができない事象が起きます。
「なぜ」が毛嫌いされる訳
実は、
講師にしてみると、
こういう生徒は「やっかい者」です。
(冷静に考えて、
講師や先生は、
自分の時間を切り売りしていますので、
生徒を、我が子のように、
納得がゆく最後までは
付き合ってはくれません。)
最終的には
「自分で調べろ。」
「そこは試験に出題されない。」
という結論に至るのです。
実は世の中の「なぜ?」に答えることは
たいへん面倒臭いことなので、
「分からないことは何でも質問してください」
という
ほとんどの人間は
「あらかじめ解答を準備しておいた想定質問」
TVで大人気の池上先生風にいうと
「良い質問」だけを求めている
いい質問ですね。
だから、大勢の前で質問をするときや
アンケートなどの回答なども
無難な質問(テーマや文脈に沿った質問)になりがちになる。
それとは逆に、
SNSやマスコミのような
攻撃的な批判をする場面でも、
「なぜ?」という問いから考えている人は少ない。
人間(ヒト)は
発言者のご本人が言うほど
考えることを得意とはしていないのです。
だから二元論で評価しがちです。
(二元論は楽だからね。)
(自分と関係ないことを考えるのは、疲れるしね。)
効率重視の勉強を「学び」と言えるのかどうかは疑問が残る
現実的には
社労士の試験問題には、
時間稼ぎのための
難問が存在するので
試験テクニックとして
「捨て問題」として
「難問読解」は後回しにすることを
推奨すると思います。
資格試験学校の、
合格体験記などで、
一発合格が歓迎、奨励、
クローズアップされるのも
効率重視と無関係とは言えないでしょう。
私には、資格取得の教材は
学習効率に偏重しているように見受けられます。
学習方法の紹介なども、
商業主義が見え隠れしていて
どうも、ついていけません。
(気が合いません。)
講師に同情すべき点もある
だだし、資格試験講師や先生の方々にも
見落としがちな、
同情すべき点が2つあります。
受講生が優秀とは限らない
ひとつ目は受講生を入学試験で選別できない点です。
講師の方々は見込みがある学生のみで
クラス編成ができないのです。
しかも、卒業単位を与えたり、
評価をつける権限もありません。
入学試験がないために、
生徒側はともすると、
お金を払っているので、
「一から教えてもらって当たり前」という
学びという点において、
根本を勘違いした姿勢
(お金を払っている方が
「偉い」
と思っている?)が
前面に出てしまう生徒も
混在しているのも事実です。
落語家の師匠と弟子の関係でさえも、
手取り足取り教えてはくれない。
本人の実力がものを言う。
お金(貨幣経済)を
過信しすぎでは?。
「お金は偉くないよ」ねぇ。
お金で学歴は買えても、
「お金で知識や経験までは買えない。」
(試験で入学した人には、この屈折した気持ちがわかるハズ。)
(ゲームを無課金で攻略する人にも理解してもらえる気がする。)
講師は試験問題に抵抗できない
2つ目は、
講師は試験問題に合格させるために
教えているのですから、
たとえば、試験問題がクソ難問であったとしても
試験問題を否定することはできない立場にあるということです。
同時に、専門知識を知らしめるために
素人が知っていることから、
説明しはじめて、
専門家なら誰でもいいそうなことを
焼き直したようなテキストしか存在しません。
(私の知る限りですが。)
今の試験問題が
合格者にとってタメになるのか?
という疑問はあるけど・・・。
口にはしない
(口に出来ない?)。
この専門知識を
私たち素人が知らないままでいても
どうして今まで
生活して来られているのか?
という説明からスタートする人(説明できる人)
はそこ(資格予備校)には、まずいない。
(そんな暇人は、どこにもいない。)
「勉強開始前に認識しておけば・・」と思うこと
勉強を始めた
もっと早い時点で
こういった特徴に
気づくと、
暗記への
一種の割り切り感を
保つことができ、
日々の勉強の辛さ
(ストレス)を
幾分軽減してくれる気がします。
マークシート方式である
社労士試験において
法律の意図について
出題されていません。
(=出題側が求めていません。)
とどのつまり、
単なる暗記・暗唱でも
正答できるという
特徴があると思います。
ただし、(留意点として・・)
「すべてを暗記できるのであれば、
誰も苦労(?)はしていない」
という事実も見落とさないで
おくんなまし。
<なぜを繰り返す人は、研究者の適正はあるが・・・、 資格取得の適正としては、遠回り。> 社労士試験の勉強でノーベル賞は取れない。 資格取得の勉強と 研究とは異なるもであることを 認識しておきましょう。
一方で、
研究の世界は
数知れぬ無数の失敗の上に
成り立っている世界であることも
忘れてはいけません。
研究者と
社労士試験合格者
どちらが偉いとか
どちらが知的だ
という比較の問題ではないので
あしからず。
思い込みや
偏見が
勉強の邪魔をする場合が
あります。
「なぜ?」、「どうして?」は裁判官の領域
2年間も非効率な勉強ブログを
書いてきてしまった
私は、今では
「なぜ、どうして」と思い浮かぶ疑問は
法律(立法)の領域ではなく、
むしろ裁判(司法)の領域なのではないかと
考えています。
裁判の判例を読んで
気づくことは、
法律解釈は一意ではなく、
目的、趣旨に立ちかえりつつも、
「合理的」「通例かどうか」などの視点で、
本来の意図を考えつつ
判決している点です。
判例は、たまに選択式で出題されるけど、
本来の意図を捉えているか?
という出題です。
その形式以外には
なかなか出題されません。
社労士試験では趣旨・目的条文が出題される
社労士試験で、
目的条文が出題されるのは、
こういう観点で
「最低でも目的条文ぐらいの知識は
必要でしょう。」
と出題側は考えているのではないかと
思ったりしています。
言い換えると、
社労士は
目的、趣旨まで答えられれば良い。
それ以上は求めない。
もっと言うと、
理由を間違えて解釈していても、
とがめられない。
よって、
なんとでも解釈していてよい。
「なぜ?」、「どうして?」にこだわりたい人は、 法科大学院や法学部で学べば良い。
法の意図への理解は
専門教育を受けて、
専門書を読んで
身に付くことだと思います。
現状の社労士試験では、
なぜ、どうしての
説明力を求めていません。
勉強ストレス解消方法
受験に共通する構造を知る
資格専門学校は
こんな量の資料や課題
いつやるんだよ!
詰め込み過ぎじゃん。
と思うくらいの情報量の
知識・問題が配布されます。
これを無批判に信じて
受け入れている人が
勉強が継続しているのです。
しかし、それでも
試験に落ちるときは落ちます。
資格専門学校や講師・先生の方は、
大量の問題を作成して、
不合格者の責任追及を回避している
とも言えそうです。
私は「私について来れば、
合格できます。」的なことを
曰う先生や講師は
控えめに言って、・・
嫌いです。
そういう先生は、
考えが浅すぎると思います。
(商売上、そういう売り方がいいのかな?)
(大人はズルいからねぇ)
つまり、
受験にチャレンジする際の
「譲れない一線」は、
ご自分で決めておかなければなりません。
これが、とても大切です。
誰も決めてくれないし、人を頼ってはいけません。
(つまり、受験生は、
一生合格しないかもしれない可能性も
想定してチャレンジするべきということです。)
これが、わかっていれば、
自分基準でテキストの取捨選択が
できるようになると思います。
(むしろ)着想を変える
「なぜなぜ?」「どうして?」視点でなく
①(ご自身が知らずにいた)
現実社会を知る
世の中の「誰が?」「どういう人が?」
「どこが?」
どんな得をするのか?
その法律による、
起こりうる弊害やリスクは
どんなことが想定されるか?
②(利己的な)継続方法を考える
自分の頭の中の枠組み(準拠枠)の
中に整理・定着させるために・・・
おもしろ、おかしく、
「興味を」継続・維持を
「どのように」するか?
勉強継続方法については
巷にあふれる自己啓発本では
「習慣化する」という結論で、
あらかたが思考停止していますが、
そんなことが出来れば、
苦労していないのですから、
「誰の支援」「どんな支援」
を利活用して習慣化するか?
ここは人それぞれ固有の
クセ(特徴・特質)が出てきそうです。
そこを柔軟に工夫して、オリジナルの
楽しみを見出しましょうね。
世の中が大きく変わるきっかけは「法改正」であることを知る
例えば、法律は、毎年少しずつ改正されていくのですが、
世の中の変化に対応して
改正していると考えるならば、
法改正は今まで
出来なかったことが、
出来るようになるということと
解釈できるのではないでしょうか?
これが、特例だったり、
経過措置だったり
という場合もあるようですが、
法改正で、当初の趣旨や目的とは
幾分のズレを含んで
改正されることも
起こりうると想定されます。
法律という
絶対的な社会のルールは
常に正しいという固定観念を持っていた私は、
首尾一貫した整合性の高い
説明を期待してしまいがちなのですが、
現実の法律は
パッチワークのようなたたずまいとなり
難解にならざるを得ない特徴があります。
個人の主観では、「美しくない」印象です。
正義感が強い人は
法律を勉強するのには
向いていないかもしれない。
「今は、こうなっているのね。」
ぐらいのおおらかさを持って
勉強を乗り切りましょう。
そういった観点においても、
「なぜ?」「どうして?」は
ホドホドにしておき、
法律の影響範囲や
変化などに
目を向けた方が
ストレスを軽減し
心を平静に保てたりします。
社労士勉強に自己の知的充足感を
期待してはいけません。
記憶トレーニングの連続ですから。
違う意見をお持ちのかたは、
ご自由に書き込み願います。
(考え方や捉え方はその方個人の自由ですからね。)
どうしても
「なぜ?」にこだわってしまう場合は
他の分野の本などを
勉強以外の時間で
並行して読んで、
あなたの中の
「なぜ・なぜ君」を
満足させて
感情のバランスをとって
あげましょう。
社労士の社会的役割を考えてみる
「法律で決まっているのでダメです。」
(だけでは、社労士として
あまりにも能がない。)
適法か?そうでないかは、
社労士でなくとも
誰しも自分で調べれば分かる時代です。
ですから、こんな声が聞こえて来ます。
「そんなことは
代表のワシだって
わかってるよ!」
事業者(顧客)の不正解消(ピンチ)を支援、導く役割
社労士に求められる社会的役割は、
法制度を腹落ちさせる
(=代表へ、適切に理解させる)
能力
とも思えて来ます。
国家資格なのですから
行政(厚生労働省)が手間がかかっている(困っている)部分を
社労士に担ってもらいたいという
思惑は感じ取れます。
国の14もある行政機構のうちの1つである
厚生労働省の手先みたいなもんですな。
(法務省の手先ではない)
ちなみに
労働争議で
裁判所のお世話になる場合は
法務省管轄なので、
司法試験合格者の
弁護士先生に頼みます。
(裁判において陳述する場合の
社労士の立場は補佐人です。)
補佐人。
中途半端・・。
みなさんには全く関係ないことだが
私の場合、サラリーマンになって
初めて得た役職名が「課長補佐」である。
そこから私は
「社労士は中途半端な
補佐人」と
記憶するように
しています。
試験合格者(資格)と社労士(役割)との違い
資格を取得したから
「勝ち組」になれるようなことはなく、
資格を取得しても、
「食えない資格」と揶揄される(=からかわれる)のは
このあたり(補佐人)にありそうです。
(そして、こういった議論が不毛であることも
歳を重ねると気づくことのようです。)
もめごとの解決は、
教科書通りには行かない。
まぁ、実務上は
労働争議から
裁判に至るならば
弁護士先生にお任せしてしまうのです。
例えば、
企業が新卒学生の採用時に、
若くして資格取得している人を
重視していないのは
資格とは所詮、その時代の
人間が作り出した基準であって
その知識だけでは先(限界)が
見えてしまうところに
ありそうです。
資格(肩書)をとっても、
GOALには至らない
ということでしょう。
試験に不合格だった
大半の方々も
落ち込む必要なんてありません。
私から見て、不幸せな社労士は
世の中にたくさんいらっしゃいます。
世の中は、どうやら
人間が理解できるほど
単純ではなく、
どんな時代でも
「謎だらけ」の
ようです。
「なぜ」という問いを持ってしまい、
このページを読んでいる皆さんは、
他人の出した答えを正解とするのではなく、
その一生をかけて自分で新たな答えを考えてみるのも
楽しいかもしれません。
以上です。
具体例を挙げると、関係者に
弊害(ご迷惑)が生じると
考えたため、
・非常にわかりにくい、
・まとまらない、
・とりとめもない
・まわりくどい、
・モヤモヤ感満載の
文章となりました。
その点をお察しいただいて、
皆さんの身近な例に当てはめて
「スッキリ感」を
見出していただけますと幸いです。
お読みいただき、ありがとうございました。
(これは、一個人の見解です。)
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